多くの日本人に見てもらいたい。太平洋戦争後、朝鮮半島から日本人が日本に帰る(引き上げ)時に、多くの日本人女性が レイプされ、強姦犯の子供を宿しました。
福岡県の二日市保養所は、レイプ被害に遭った日本人女性に堕胎手術や性病の治療を行っ た。
当時堕胎は違法行為であったが、厚生省は超法規的措置として黙認した。
その病院だけでも数百人の日本人女性が麻酔無しで堕胎手術を受けた。

終戦から62年 日韓それぞれの引揚げ01


終戦から62年 日韓それぞれの引揚げ02


ヤン・ジュヒョン(76)
釧路出身

父親は阿寒炭鉱で数百人の炭鉱夫をまとめる会社経営者。
乗馬に興じる余裕があった程裕福な暮らしをしたいた。
14歳の時釜山に引き揚げる。
釜山には不良者がたくさんいた。
一人では街に出てはいけないと言われていた。
街に出てみると、男たちが大声を出し、女を抱いているのを見た。

海の方に連絡船の往来を見ると日本に帰りたいと思った。

戦後最大の引揚港だった博多港
着のみ着のままの大勢の日本人を乗せた船が連日港に接岸した。

中田治子(80)
朝鮮半島からの引き揚げ者
終戦直後の混乱期にはソ連兵や現地人(韓国人、朝鮮人)らによる略奪、そして強姦が平然と繰り広げられていた。
中田さんの父親は年頃の中田治子さんのことを案じて止まなかった。
当時18,9だったから坊主にして、兄の服を着たり、男の子の格好をするように言われた。

そんなある日の夜、自宅に男たちが押し掛けます。
中田さんは隣の家に身を寄せ、静かに時を過ぎるのを待ちました。
何か棒を持っていて入ったのか、ガサガサ探している音が聞こえた。